お元気ですか?リンダです。
私は被災地にお伺いし、みなさんにお会いする度、歌手としての使命を心から感じ、みなさんのお陰でこの45年間歌い手として続けてこれてこそ、みなさんが知っていてくださっている。阪神の時にも思いましたが、何かの時に役に立てる歌手でありたいと願っています。たいへんな状況下、本当にみなさんがよろこんでくださる!私こそが感激、感謝の気持ちになる歌の力の凄さです。今回はまず、18日から20日まで、橋幸夫さんの呼びかけでの絆の会で、橋さんはじめ、ジュディ・オングさん、金沢明子さん、清水アキラさん、ジョン健ヌッツォさんらと宮城県内9ヶ所の避難所をまわりました。今回は、震災直後に有志で結成された仙台のボランティア団体「仙台とどけ隊」の藤岡さん、田賀さん、小林さんをはじめとするメンバーにエスコートしていただきました。みなさんそれぞれ会社経営や自営などお仕事を持ちながらも、支援を続けてらして、ボランティア活動も、ほんとうに寝る場所や食事、体力も限界にいたっても、みなさんつらいとは口にせず、役に立ってるという思いが湧いて、頑張ってらして、なかなか行政の支援が追いつかないことに苛立ちを持ちながらも必死に復興支援を続けてらっしゃる心で繋がる素晴らしいみなさんです。
今回、私は二度目の慰問になる南三陸町、多賀城市文化センターも、なかなか復興が進んでないと感じました。瓦礫が整えられて、山に積まれている位の変化です。前に伺った時はちょうど桜の時期で、今回は藤の花が咲きはじめていました。報道でもみなさん御存知と思いますが、三階建ての防災センターで、職員の遠藤未希さんが必死に避難を放送し、その後の津波で流され、今、その建物は、骨組みだけになっています。その建物を前に本当に立派な方だとお亡くなりになられた未希さん(24歳)のご冥福を心からお祈りしました。そして、お亡くなりになられたみなさまのご冥福を心からお祈りいたしました。
また、南三陸町の小高い山を登って行った場所に避難された方々は、陸の孤島となり、流れてくる魚やなんとか残ってる野菜をみんなで分け合い救助がくる数日間耐えしのんでらしたそうです。その中にいた漁師さんが、おれらは海の男。今まで海からたくさんの物をいただいたから、だから、海に返したんだ、と。津波の被害をこう言葉にされました。
一から頑張るよ!と真っ黒に日焼けした体の大きな漁師さんのお言葉でした。
次回、宮城での慰問を終え、単独岩手に行きました報告をさせていただきますね。
岩手もテレビで観る状況とはもっともっと違うそれはたいへんな被害状態でした。